【蒟蒻の添加物】「昔ながらの」は本当なのか!?蒟蒻の原材料をチェック
某スーパーで「昔ながらの特玉こんにゃく」と言う名称でこんにゃくが売られていました。
「昔ながら」と言う、昔がいつなのか?
色々チェックしてみました。
こんにゃくの添加物
こんにゃくは、昔から考えたら原材料が大きく変わりました。
今回スーパーで見かけたものは、「独自製法」とか「昔ながらの」とか「特玉」とか、消費者の「買いたい」と気持ちをくすぐる文言がたくさん書いてありました。
「味染み」と「食感」にこだわった逸品らしいです。
いかにもおいしそう。
原材料を見てみます。
ここに嘘をかいたら法律に抵触します。
ちゃんと正しく書いていると信じます。
名称:こんにゃく
品名:手造りジャンボ蒟蒻
原材料名:蒟蒻精粉(国内産)、海藻粉末、水酸化カルシウム
内容量:充填時1000g
上記のように書いてあります。
そもそも蒟蒻とは、どのようにして作るのか、簡単にお知らせします。
蒟蒻の昔ならの作り方
蒟蒻芋は、そのままかじったら、1日口の中がイガイガしたり、舌をさすような刺激を感じたりするようなものです。
そこで、古くは1000年前から、蒟蒻芋を蒸して、すり潰し、石灰水(焼いた貝殻の灰に水を加えたもの)を混ぜると、固まることが分かったので、それを凝固剤にして蒟蒻を作って食べていました。
その後、わらを燃やした「炭」を水に溶かして、それを凝固剤として使っていました。
蒟蒻のグレーの色や、蒟蒻内の黒い内包物は「わらの灰」だったのです。
蒟蒻芋は、そのまますりおろしていたので、皮も入っていたのでグレーの色の一因でした。
江戸時代に製粉法が開発されて白いコンニャクを作ることが可能になりましたが、「コンニャクらしくない」と世間の評判が悪かったため売り上げが下がりました。
最近では、「灰」を食べていると言うのに抵抗がある人のために、わざわざ「ひじき」を入れています。
真っ白の蒟蒻粉で作ると、真っ白い蒟蒻が出来るので、ひじきで着色しているのです。
蒟蒻芋を蒸して、すり潰すのにはものすごい手間がかかります。
最近では、精製して粉にする技術があります。
そのため、近年では、「既にに粉になっている蒟蒻精製粉」を使って、わらの灰の代わりに「粉砕したひじき」を入れ、わざわざ蒟蒻っぽい色にして、「石灰(水酸化カルシウム)」で固めて蒟蒻にしています。
一番は、コストと、製造するときの手間の問題です。
あとは、ここで言う「昔」とはいつなのか!?
元々蒟蒻の歴史は以下のようになっています。
蒟蒻の歴史
蒟蒻は1000年以上前から食べられてきました。
「中国から仏教の伝来とともに精進料理として伝わったと言われる説」とか、「飛鳥時代の欽明天皇「きんめいてんのう」(539〜571年)聖徳太子が生まれる少し前の頃に朝鮮から伝わった」とか、「飛鳥時代に遣唐使(630〜894年)が持ち帰った」とか、色々説があります。
ただ、いずれにしても昨日今日、日本に入ったものではありません。
日本で記録が残っている蒟蒻について書かれた書物は、平安時代の歌人、源順(みなもとのしたごろう)が書いた「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅしょう)(931〜937年)という辞書だと言われています。
「蒟蒻、其の根は白く、灰汁をもって煮れば、すなわち凝成す。苦酒(酢)をもってひたし、これを食す。」
つまり、1000年前では既に灰汁で煮て固めていました。
平安時代の「拾遺和歌集」(しゅういわかしゅう)(1005〜1007年)にも蒟蒻が出てきます。
ただ、昔は蒟蒻と言えば「医療用」の物でした。
一般的に庶民が食べるようになったのは、鎌倉時代以降と考えられています。
1330年の「庭訓往来」(ていきんおうらい)と言う現代で言うところの教科書のようなものにも、味噌で煮て食べたことが出てきます。
室町時代には、おやつと言うか、間食的なものとして食べていたことがわかっています。
戦国時代には、豆腐や納豆と一緒に食べていたようです。
1846年(明治21年)「蒟蒻珀珍」(こんにゃくはっちん)と言う現代で言うところのレシピ本にも記載があります。
1963年(昭和38年)松尾芭蕉も蒟蒻の詩を残しました。
一般的に、蒟蒻粉で蒟蒻を作るようになったのは、歴史的にも最近のようです。
技術的には、江戸時代に開発されましたが、定着せず、精粉を中心を使い始めたのは昭和くらいみたいです。
今回の蒟蒻は、「昔ながら」とか書いてありますが、生の蒟蒻芋ではなく「蒟蒻精粉」を使っていますし、灰汁の代わりに「水酸化カルシウム」を使っています。
また、着色のため「海藻粉末」が使われています。
これのどこが「昔ながら」なのか疑問が残ります。
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